沖縄戦ではなぜ、非戦闘員の集団自決が起こってしまったのかを徹底解明!
頑張ります!
あしたわです。
沖縄の集団自決って
何で起こったの?
大東亜戦争の唯一の日本国内の地上戦では、悲しいことに集団自決が起きた。
なぜ、集団自決が起こったのか、その集団自決は軍命だったのか?について調査したから共有する。
- 大江・岩波の名誉棄損裁判で敗訴して軍命がイメージづけられた
- 鉄の暴風・沖縄ノートの影響で隊長の悪行説が浸透
- 徹底取材した書籍は裁判では”尊重されなかった”
- 援護法のために黙っていた元隊長
梅澤さんと赤松元隊長の実弟が起こした”大江・岩波名誉棄損裁判”を闘ったが敗訴し、軍命によって集団自決が起こったと世間にイメージづけてしまった。
その裁判では、取材もろくにしなかった鉄の暴風、鉄の暴風を元に書かれた沖縄ノートの浸透で”日本軍 = 悪”が採用され、”あたかも軍命によって集団自決命令があった”かのように広まってしまった。
結論から言ってしまうと、”軍命があった”と言える決定的な証拠は一切ない。
ここは裁判でも”軍命があったと断定できない”と認められているが、沖縄ノートの梅澤さん+赤松さんへの罵倒は”名誉棄損には当たらない”とされてしまった。
この沖縄の集団自決には、沖縄戦に参加した人たちへの遺族年金、遺族給付金などが支払われる”援護法”が大きくかかわっている。



梅澤さん…赤松さんの
汚名を返上するために頑張るぞ!
では、なぜ集団自決が起こってしまったのかを一緒に見ていこう。
沖縄戦での集団自決が起きるまでの流れ


職業:無知な政治ブロガー
日本を守るための活動。おまけに強烈な反米。
生活の中からなるべくアメリカ排除が目標。
渡部昇一先輩、武田邦彦師匠が心の師。どうすれば衰退する日本を防げるのかを一緒に考えてくれるライター(現状は無報酬)を募集中
※Amazon のアソシエイトによって、水時計は適格販売により収入を得ています
軍命説が浸透した4つの原因
- 大江・岩波の名誉棄損裁判で敗訴して軍命がイメージづけられた
- 鉄の暴風・沖縄ノートの影響で隊長の悪行説が浸透
- 徹底取材した書籍は裁判では”尊重されなかった”
- 援護法のために黙っていた元隊長
色んな研究者が徹底的に調べても、2026年の未だ”軍命”の証拠は見つかっていない。



おそらく証拠は神しか持っていない
それなのになぜ、自決命令が軍命であったと言われるようになったのかについて流れをおさらいしてみる。
軍命があったと広まったのはなぜ?
鉄の暴風には何がかかれている
- 赤松は住民に手榴弾を渡して集団自決を命じた
- 梅澤は慰安婦と不明死を遂げた
- 死に底なったものが互いにこん棒で叩き合った
鉄の暴風では、上位以外にもろくに取材もせずアメリカにはヒューマニズムがあるように書き日本軍下げをしている。
梅澤は慰安婦と不明死を遂げた
哲の暴風には、”梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した”と書かれていたが、梅澤氏は生存していた。
実は、この慰安婦と一緒に死んだという話には元ネタがある。
特幹兵は子供同然だったし~(略)
(彼らが)いったん女性を知れば、彼らと慰安婦はもう恋仲だったのです。
森井少尉という副官がいました。
彼は慰安婦と恋仲だったのですが、米軍の猛攻撃で腹をやられました。腸を銃弾で射抜かれ、激痛で苦しんでいるのをその慰安婦が懸命に介抱していました。
しかし敵の攻撃はやまず、舞台は後退を余儀なくされたのです。すると動くこともままならなかった森井少尉は”部隊に迷惑はかけられない”と彼女を抱いて手榴弾の起爆栓を引いて自決したのです。
引用:「強欲チャンプル」沖縄の真実
彼女も黙ってそれに従いました。
「強欲チャンプル」沖縄の真実の中で、梅澤さんがインタビューで語っている。
これを梅澤さんを快く思わない輩が吹き込んだのだ。
鉄の暴風の黒幕
- 執筆期間3か月
- 交通・通信をアメリカ軍が独占していた
- 紙・インクも制限されていた
- 執筆者の太田はユースカー勤務者だった
沖縄だって、本土と同じく米軍の検閲の許可がなければ新聞社には紙やインクが配給されなかったし、メディア側がアメリカ軍に反抗するすべなどなかったのだ。
当時、アメリカ軍の単独占領でグアムのようにアメリカの統治領にしようとした意図があったようだ。
一つの事例を見てみよう。
48年8月19日の深夜にある事件が起こった。
白人と黒人の米兵二人が、民家をのぞき見しながらある村を徘徊していた。
それを見つけた住民がガスボンベを打ち鳴らすと、自警団の青年たちが飛び出してきて米兵を追いかけ、逃げ遅れた一人ともみ合った挙句、相手が拳銃を取り出す直前にナイフで胸を突き刺して死亡させてしまったのだ。
その後の軍事法廷で弁護人側は”正当防衛”を主張したが、受け入れられず戦時刑法を適用して、その青年は絞首刑に処された。
1949年9月までの6か月間の警察調査では、米兵の強姦18、殺人29、強盗16、障害33という犯罪数が計上されている。
ヤンキーゴーホームという思いは日毎に強くなっていた。
そこで米軍政府はあの手この手で懐柔政策を練り、宣撫工作班が動き始めたという。
日本本土でも戦後の混乱期には、同様な犯罪が頻発しており、GHQは、いち早く日本人をマインドコントロールする計画に着手した。
このマインドコントロールこそ有名なWGIP(ウォーギルトインフォメーションプログラム=戦争贖罪意識)である。
引用:2009年12月号 正論 「鉄の暴風」はGHQの西部工作だった
沖縄ではアメリカ軍の悪行が深刻化していて自警団が結成されていたが上記のような事件が多発していた。
鉄の暴風の執筆者
- 豊平良顕
- 牧港篤三
- 伊佐良博
伊佐は鉄の暴風の執筆直前に入社したての新米記者だった。
伊佐は、タイムス社を退社した後”太田良博”として活動していく。
因みにこの太田はタイムスに勤務する直前までユースカーにと勤めていた。



ちなみにこのユースカーとは
後述する山城安次郎も懇意にしていた組織
ユースカーとは、アメリカ軍が沖縄上陸と同時に設立したアメリカ軍政府に変わり、昭和24年、民政府の名でアメリカ軍が沖縄に設けた統治機構のこと
正式名称は、United States Adoministration Ryukyu Islandの略で、USCAR(ユースカー)という
太田 VS 曽根論争
かろうじて那覇で≪捕えた≫証言者ではなく、”(両人が)沖縄タイムス社に尋ねて、私と、渡嘉敷島における赤松大尉の暴状について語り、是非、そのことを戦記に載せてくれと頼んだことである。
そのときはじめて私は”赤松事件”を知った”
鉄の暴風を書いた太田は、曽根氏との論争で宮平、山城両人についてこう語っている。
沖縄ノート
沖縄ノートの記述が事実かどうかをめぐって梅澤さんと赤松さんの実弟が起こした裁判では、”ある神話の背景”の著者の曽根氏が”事実ではない”と指摘し、大江側も沖縄ノートの記述が沖縄タイムス編著・鉄の暴風の根拠のない電文情報であり、事実確認はしていないことは認めている。
曽根さんが大江に対して興味深い話をしていた。
曽根:私が”ある神話の背景”をまとめているときに戦友会から(沖縄戦の戦闘詳報)もらったんです。
私はあらゆる史料を集めるというのを原則としていまして、右も左もというか、上も下もかまわず集める原則にしているのでありがたく頂きました。
思いついて大江さんに電話したんです。
そして”お送りしましょうか”と言ったら、言下に”要りません”と言われたんです。
先日、大江さんが”曽根綾子の書いたものはいい加減だから読まない”と断言しているのを見て、この人は気に入らない史料は読まない主義の人なんだなと改めて思いました。
引用:沖縄戦「集団自決」の謎と真実
鉄の暴風の根拠のないほら話を元に書かれたのが、この沖縄ノート。
そして、大江は、自分の思想上合わないものは読まない主義とのこと。



それを裁判では
”信用に足る”と受け取ってるんだから
どうなってるんだろうね
司法は
赤松⁺梅澤は自決命令を出したのか
赤松嘉次


艦砲が激しく名手、渡嘉敷の山は焼けて、シージャー(椎の木)だけが残っていた。
(安里喜順巡査は)家族の面倒を見ていた。
その防衛隊の人たちは、敵は阿嘉島に上陸し、次は渡嘉敷島に上陸してくるというので、私はあわててしまった。赴任してまだ間がなく、現地の状況もよくわからないので、米軍が上陸してきたら、自分一人では村民をどのようにして何処に避難誘導しようかと考えていたので、赤松隊長に会いに行った。
「これから戦争が始まるが、部落の住民はどうしたらよいかと右往左往している。
どうしたらいいのか」と相談した。すると赤松隊長は「私たちも今から陣地構築を始める時だから、住民は静かで安全なところに避難し、しばらく情勢をみたらどうか」と言われた。
そこで村長や村の主だった人たちと相談して「なるべく今晩中に安全な場所を探して其処に避難しよう」ということになった。
住民を避難させたが、住民は平常心を失っていた。
「この戦争はだめだから、このまま敵の手にかかって死ぬよりは、潔く自分たちで、家族一緒に死んだほうが良い」と言い出して、村の主だった人たちが集まって玉砕を決行しようということになった。
玉砕することを認める訳にはゆかない。
引用:沖縄県警察史
しかし、当時の教育は「生きて虜囚の辱めを受けず」だったので、言っても聞かなかった。
赤松氏は自決命令なんか出していない。
防衛隊員たちには、敵と遭遇したときに手榴弾を渡されていたから、それで自決しようとしたが、幸か不幸か不発弾が多く自決できない人たちがいた。
それで、機関銃を借りて自決しようということになり話したが貸してくれなかった。
そこで、赤松隊長は”私たちは兵隊で、闘って死ねばよいが、皆さんは生きられるだけ生きてください”と言って自分たちの味噌や米を住民に分けてくれたという。
金城重明と遭遇していた赤松氏
集団自決の後、金城氏は米軍の迫撃砲を受けて”指が四本入るほど”の傷を負っていた。
すぐに治療を受けなければならないが、そんな状況下に、金城氏は赤松隊長と遭遇する。その時、赤松氏は”渡嘉志久(部落)に行けば薬はあるはずだよ”と告げる。
それを聞いて、金城氏は”ああ、渡嘉志久に行けば薬はありますか”と確認したというのである。
この事実は何を物語るのか。
それは、金城氏が全滅したと思った日本軍と遭遇して、”なぜ自分たちだけが、こんなむごい目に合わなければならないのだ”と、腹の底から憤りと不信感とがこみあげてくるのを禁じえなかったとか、”米軍よりも日本軍の存在が怖くなった”などという証言が、全くの作りごとであった”ことを証明しているとし、金城氏の証言や発言を丁寧に読込分析すると”赤松隊長の自決命令を裏付けることなどとても無理である。大阪地裁の深見裁判長は、そう判断して、判決文から金城氏関係の一切に触れることを辞めたのではないか”と結論付けている。
引用:「強欲チャンプル」沖縄の真実
大江・岩波名誉棄損裁判の219ページにも及ぶ判決でも、裁判を追跡していた沖縄メディアでも金城証言については全く報じなかったことを2008年8月のWILLで鴨野守氏が上記のような分析をしている。
詳しくは後述するが、この金城氏は、沖縄戦で次々人を殺して歩いていたとされる人物。
梅澤裕に課せられた任務とは


シナで闘ったあと、日本に帰れると思っていたところ、今度は”沖縄の離島で特攻をしろ”という命令が下された。
大本営はなんと非常なのか!
梅澤氏に部下(16 ~ 18歳の青年たち)と共に特攻を命じられたのだ。
そこで、敵艦に体当たりせず、直前で急旋回しながら爆雷を海中に投棄する。
爆雷は4mほど沈むと水圧で爆発し、敵艦に穴をあけることができる。
効果は体当たりと同じで、兵士は死なずに生還できるという作戦を考え付いた。
その後慶良間に渡る前に参謀たちを前に会議が開かれた。
そこでその作戦を提案すると、じっと聞いていた佐伯中将が”それでよろしい”と許可が出て、ずっとその訓練をしていた。
沖縄戦で活躍したスパイ
山の上で懐中電灯が光ると、沖野米軍の潜水艦でも光、情報のやり取りが行われていた。
これは後でわかったことですが、基地隊の性器の将校ではなく幹部候補生であった神山という中尉がスパイだったのです。
懐中電灯で合図すると、米潜水艦のフロッグマンが島の浦側にやってきて、船体の構成から訓練内容、兵器容量、マルレ(軽舟艇)の数、マルレを隠してある秘匿壕の場所まで、逐一報告していたようです。
だから、米軍が上陸する前日の3月25日、マルレの秘匿壕は徹底的な艦砲射撃を受け、我々の最大の武器は一瞬に灰塵に帰しました。
マルレがなくなると他に大した武器を持っていないので、地上戦などとても無理。
それは、基地隊も同様で、敵はそうしたこともすでに情報として得ていたようです。米軍が上陸すると”米軍の軍服を着て、ジープで走り回っている”と住民から報告があり、彼が昇進署名のスぺ意であることが判明しました。
引用:「強欲チャンプル」沖縄の真実
これは、ジャーナリストの大高未貴さんのインタビューで梅澤氏が話していた内容。



梅澤氏に託された作戦が
闘いでは使えなくなってしまった…
朝鮮人軍夫について
島には約100人の朝鮮人軍夫がいました。
彼らは実によく働いてくれた。
軍司令部から”彼らはいいところに住まわせ””兵隊と同じものを食べさせ””空襲とか危険な時にはただちに避難させなさい”という命令が出ていたので、それを忠実に守りました。
だから彼らは一人も死ぬことがなかった。
”彼らを海岸に集めなさい”と命令し集まった彼らにこう言いました。
”いよいよ米軍が来る。
お前たちもさぞかし心配なことだろう。
今まで良く働いてくれて本当にありがとう。
日本人だから日本軍の中に残って戦闘をしたい者は残って善。
しかし、米軍に行きたい者は活かせてやるがどうするか?”すると全員が米軍の方に行くという。
”わかった。
行かせよう。ただし米軍側に行っても日本軍には歯向かわないでほしい。
それからいかなる状況に置かれようとも必ず生きて朝鮮に戻りなさい。これでもって終わる。
さらば。”だから、戦後、朝鮮から調査団が座間味などにも来て、軍夫や慰安婦への扱いを調査したそうだが、軍夫は一人も死なず、唯一死んだ慰安婦は将校と恋仲だったとわかり、”座間味に差別や虐待はなかった”と結論付けて帰っていったそうです。
引用:「強欲チャンプル」沖縄の真実
日本には、ホントに”日本軍 = 悪"という印象付けがある。
そう思ってる連中はこういうのを見てどう思うのだろうか。
宮城初枝証言


座間味村の戦没者遺族は、遺族年金、遺族給与金など、年間総額1億5千万円の支給を受けていた。
住民僅か数百人の島に年間1億5千万円は大きい。
そのお金が宮城初枝氏の証言一つにかかっていた。
この初枝氏は、梅澤隊長の元に出かけた5人のうちの唯一の生き残り。
厚生省引揚援護局の職員が調査のため座間味島を訪れたとき初枝氏が呼ばれた。
そこで
住民は隊長命令で自決したと言っているが
そうか?
はい
と答えた。
その後、この初枝氏と梅澤氏は再会することになる。
初枝氏が梅澤氏に”どうしても話したいことがあります”というと、驚いたように”どういうことですか?”と返答。
そこで、3月25日のことを順序だてて話し
夜、艦砲射撃のなかを役場職員ら
五人で隊長の元へ伺いましたが、私はその中の1人です
梅澤氏はそのこと自体を忘れていて話を聞いている。
住民を玉砕させるようお願いに行きましたが
梅澤隊長にそのまま帰されました
命令したのは梅澤さんではありません
というと、驚いて目を見開き
ほんとですか?
そうです
ありがとう
ありがとう
と男泣きしたという。
宮平秀幸 陳述書
- 秀幸と梅澤の距離は2m位
- 宮里盛秀・初枝らが梅澤と会話していた
- 自決したいから弾薬を分けてくれと懇願
- 梅澤:弾薬などない集めた人たちを解散させろ
- 盛秀らは断られて自決に集められた人たちも解散
初枝氏と梅澤氏のやり取りの一部始終を見ていた証人がいたのだ。
その人の陳述書の一部を紹介してみた。



梅澤氏は自決命令なんか出していない!
実は、この宮平秀幸氏の証言は沖縄メディアから偽証言とされている。
その根拠は”15歳という年齢”という。
ジャーナリストの大高さんの「強欲チャンプル」沖縄の真実の中では数行程度の扱いで、大高さんも嘘と認識している?模様。
でも、後述している山城とのやり取りなどを含めてこれらの証言が嘘とは思えない。
年齢が嘘ということだが、当時男子は、防衛召集規則では14 ~ 16歳の者の招集は法令違反ではなくなっている。



那覇市史の学徒兵戦闘参加報告によれば
参加者は親の承諾書を提出して部隊に入り
二等兵に任命されるとされている
そして、”ひめゆり学徒”としても有名な女学生たちもこの戦闘に看護役として参加している。
男子下級生には通信訓練、女子上級生には看護訓練を実施している。
だから、当時15歳の宮平氏が伝令として採用されていたのは全くの嘘ではないのでは?と考えられる。
陳述書 該当箇所抜粋
本部壕は外からわからないような偽装が施されていました。
壕の入り口の方から、人の声が聞こえて来ます。
何事かとマツの枝をそっと広げてみると、宮里盛秀助役が梅澤隊長に盛んに何かをお願いしているところでした。
私と梅澤隊長との距離はわずか2メートル程度しか離れていません。
こうして私は、その場の話の一部始終を聞いていしまいました。
本部壕の前には、助役・宮里盛秀の他、村長・野村正次郎、収入役・宮平正次郎の村役場の三役と、国民学校校長・玉城盛助、村役場吏員の宮平恵達、それに私の姉の宮平初枝(のち結婚して宮城姓)がいました。
盛秀は”もう、明日はいよいよアメリカ軍が上陸すると思いますので、私たち住民はこのまま生き残ってしまうと鬼畜米英に獣のように扱われて、女も男も殺される。
同じ死ぬぐらいなら、日本軍の手によって死んだ方がいい。
それで、忠魂碑前に村の年寄りと子供を集めてありますから、自決するための爆弾をください”と懇願しました。
すると梅澤隊長は、”何を言うか!
軍も明日敵がやってくるのに、補給もなく非常に困っている。
戦うための武器弾薬も乏しいのに、民間人に武器弾薬を渡すのはもってのほかだ。あなた方を自決させるような弾薬などない。
帰って、集まっている民間人を解散させろ”と強く断りました。助役はなおも”弾薬やダイナマイトがダメならば毒薬をください。
手榴弾をください。
鉄砲があるから、小銃弾をください”と食い下がりました。そこで、ついに梅澤隊長は次のように命令しました。
”俺の言うことが聞けないのか!
よく聞けよ。
われわれは国土を守り、国民の生命財産を守るための軍隊であって、住民を自決させるためにここに来たのではない。
あなた方に頼まれても自決させるような命令は持っていない。
あなた方は畏れ多くも天皇陛下の赤子である。何で命を粗末にするのか。
いずれ戦争は終わる。村を復興させるのはあなた方だ。
夜が明ければ、敵の艦砲射撃が激しくなり、民間人の犠牲者が出る。
早く部落の者を解散させなさい。
今のうちに食料のある者は食糧を持って、山の方へ避難させなさい。”村の三役たちは30分以上も粘っていましたが、仕方なく帰っていきました。
引用:沖縄戦「集団自決」の謎と真実
軍の方針とは
第三十二軍司令官が指揮下の全部隊へ示達した極秘の”南西諸島警備要領”というものが存在する。
この文書は日本語の原文は見つかっていないが、英訳した文書が存在して国立公文書館が所蔵している。
※本からスキャンし次第ここにも掲載する
これらの文書から抜き出していみると、”先頭に参加できない老人、子ども、その他は事前に疎開させる…軍の作戦を円滑に進め、混乱を避け、被害を少なくするために、島民を適当な場所、あるいは近隣の島々に疎開させる”という方針がかかれている。
だから、軍の方針は”非戦闘員は疎開させる”こと。
そのため、赤松氏も梅澤氏もその方針通りに戦っていたのだ。
集団自決の発端は…
- 決起大会で”女子供は自決させるべし”と演説
- 参加していた村の役員が影響を受ける
- 帰島後役員が村民に伝える
- 梅澤に相談するも断られる
- やむなく解散
まず、昭和19年11月(か12月)に開かれた那覇の決起大会で”女子供は自決させるべし”という演説があった。
そこに参加していた座間味村の役員たちが影響を受けて帰島後、村民に伝えまわる。
忠魂碑前に村民を集めてみんなで自決しようとするが、梅澤に自決用の弾薬を断られ解散を命じられやむなく解散。
名誉棄損裁判
| 地裁判決 2008年3月28日 | 高裁判決 2008年10月31日 | |
|---|---|---|
| 隊長の自決命令の有無 | あったと直ちに断定できない | あったという真実性は揺らいだが、なかったと明白には言えない |
| 自決への軍の関与 | 関与したと推認 | 深くかかわった 軍の強制・命令という見解もありうる |
| 名誉棄損 | 原告の社会的評価を低下させた | 同左 |
| 書籍出版の是非 | 出版は可 | 出版時に真実相当性があり、出版継続は可 |
| ”鉄の暴風”の評価 | 多少の誤記はあるが、史料価値は否定できぬ | 同左 |
| ”沖縄ノート”の評価 | 戦後民主主義を問い直し、日本人の反省を促す | 同左 |
| ”ある神話の背景”の評価 | 赤松命令説を覆していない 取材対象に偏り | 同左 |
| 梅澤供述書 | 信用しがたい | 到底採用できぬ |
| 宮村幸延のわび状 | 借信しがたく採用できぬ | 大筋は正しいが採用できぬ |
| 照屋昇雄供述 | 疑問がある | 信用できぬ |
| 宮平秀幸供述 | 明らかに戯言 | |
| 宮城初枝手記 | 信頼できぬ |
この判決内容、明らかに偏りがある。
大江・岩波側の主張は正しくて、原告側の証言、手記は全部否定…
この裁判について沖縄戦「集団自決」の謎と真実の中で以下のように批判している。
3つのポイント
ノーベル賞の受賞者がブランドとしてもてはやされるのは先進国の中では日本だけであろう。
特に文学賞は100年間に2人しかいないだけに神格化している感もある。
その大江の著作を発行差し止めにすれば内外の大反発を招きかねないと裁判官が委縮したのではないか。
2007年春の教科書検定で文科省が沖縄の集団自決は軍の命令によると描くのは学説上疑問があるので断定的記述を割けるように指導したことに対し、程や沖縄の運動家が反発し、地裁や高裁も判決のたびに多数の県民が押しかけ、メディアの熱気や圧力に裁判所がひるんだ。
形勢不利と判断した被告の弁護団はシエン勢力を動員して同調圧力を加え、軍命否定論者を次々に転向させた。
それに対し、形成有利と見た原告弁護団は対抗手段を怠ったうえ、準備書面の不備や遅刻や裁判官の心証を著しく害した。
上記著者の秦氏はその中でこういう分析をしている。



日本人は権威に弱いからなぁ…
沖縄の集団自決はなぜ起きたのか
援護法
集団自決者にまで、この”援護法”が適用された経緯は、調査当時の担当者出逢った照屋昇雄氏が名誉棄損裁判が行われた後、雑誌に以下のような真相を発表している。
赤松隊長は神様です。
(集団自決の)犠牲者に遺族年金を出すため、自分が命令を出したとうその証言をしてくれたのです。
当時、自分を含め琉球政府援護課の職員5人が全島で聞き取り調査をし、その資料を元とした遺族給与金の申請書を東京の厚生省にもっていったのです。
ところが東京の担当者は「(集団自決遺族への)保証は難しい、自決した人は外地(中国大陸など)にも数多くいる。
そういう方々への補償も必要となり、収拾がつかなくなる」というのです。私たちは「面倒を見てくれるはずの働き手を失った老人や、父母を喪くした幼子はどのように生きてゆけばよいのか。
何とかならないでしょうか」と何度も粘り強く訴えました。すると担当者が、「軍の命令があったということであれば給与金支給が可能でしょう」と言い出したのです。
そこで当時の玉井喜八村長が赤松元隊長と連絡を取って頼んだところ「わかった」と言ってくれ、「書類を作ってくれればそれに署名押印する」というのです。
そこで大急ぎで玉井村長と二人で命令書を作成し、玉井村長らが赤松元隊長の自宅に行って、署名押印をもらい、厚生省援護課に提出し、自決した非戦闘員にも援護法の恩恵が受けられるようになったのです。
しかし、これは文書偽造、援護金横領になりかねません。
引用:View Point ダイジェスト版 世界日報・2007年臨時増刊号
したがって村民あげての秘密主義が徹底されたのです。
そんな赤松氏への沖縄の活動家の対応を紹介する。
集団自決が起こった4つの原因
- アメリカの蛮行⁺メディアの扇動
- 当時の空気感
- 死ぬしかないという心理とパニック
- 殺しまわっていた人の影
当時の沖縄には、戦争になったら”死ぬ”という空気感があったようだ。
そして、沖縄からサイパンへの移住者も多くサイパン戦の惨状が沖縄にも伝わってきていたため、”(アメリカ軍に)捕まったら何をされるかわからない”ということもあり、余計に住民の間にはそういう空気が充満していたという。
アメリカの蛮行⁺メディアの扇動


アメリカの蛮行
沖縄にはサイパンへの入植者が多かったためアメリカ軍のサイパンでの蛮行が伝わっていた。
サイパンでの戦いで日本軍の軍人・軍属役4万3000人が戦死、在留邦人約1万2000人が犠牲になり、民間人のうち6割は沖縄県民だったという。
そこでアメリカ軍が日本人に行った蛮行を目撃した元陸軍大尉・田中徳裕氏は以下のように記録している。
三方から追い込まれた数百の住民が逃げ込み、捕らわれの身となった。
幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へと追いやられた。
婦女子は全員、素っ裸にされた。
そして、無理やりトラックに積み込まれていた。婦女子全員が、トラックから”殺して!”と絶叫している。
婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子どもや老人の悲鳴があがった。
ガソリンがまかれ、火がつけられた。
飛び出してくる老人子供たち。
その悲鳴…米軍は虐待しません、命が大切です。
早く出てきなさい…あの投稿勧告は一体何だったのか。
残虐な行為は凄絶を極めた。
火から逃れ出ようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラと笑いながら、また火の中へ突き返す。
かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴り飛ばしたり、銃で突き飛ばしては火の海へ投げ込んでいる。無邪気に笑う彼らの得意げな顔が、鬼人の形相に見えた。
引用:我ら降伏せず サイパン玉砕戦の狂気と真実
こういう話は白人種の間ではいつの時代もある。
時代は違うけど一つ紹介する。
インディオを相手に前代未聞の殺戮や残虐なふるまいに耽り始めた。
彼らは村々へ闖入し、子どもや老人だけでなく、身重の女性や産後間もない女性までも、見つけ次第、その腹を引き裂き、身体をずたずたに斬り刻んだ。
それはまるで囲い場に閉じ込められた小羊の群れに襲い掛かるのと変わらなかった。キリスト教徒はインディオの身体を一刀両断にしたり、一太刀で首を斬り落としたり、内臓を破裂させたりしてその腕を競いあい、それを賭け事にして楽しんだ。
母親から乳飲み子を奪い取り、その子の足を掴んで岩にたたきつけたキリスト教徒たちもいた。
また、大笑いしながらふざけて、乳飲み子を仰向けに川へ投げ落とし、乳飲み子が川に落ちると、”畜生、まだばたばたしてやがる”と叫んだ者たちもいれば、嬰児を母親もろとも圏で突き刺したキリスト教徒もいた。
彼らは目の前にいたインディオ全員にそのようなひどい仕打ちを加えたのである。
引用:インディアスの破壊についての簡潔な報告
こうやってアメリカ大陸の先住民を虐殺しまくってできた国がアメリカだったり、南米だったりするのさ。



恐ろしいでしょ
わかるかな
私がなぜアメリカが大嫌いか
白人種が嫌いか
戦後、アメリカの洗脳教育のおかげで”アメリカ大好き~”っていうバカ多いのはそのせいだ。
宗教ってなんだろうな…
沖縄戦でのアメリカ軍は何をした…


ほとんどのアメリカ人が沖縄の先頭をニュース映画で見ていると思うが、あそこでは、火炎放射器で武装し、おびえ切った若い米兵が、日本兵のあとに続いて洞窟から飛び出してくる住民を火だるまにしていた。
あの若い米兵たちは…残虐行為を避けがたいものにしているのだ。
引用:アメリカの鏡・日本
アメリカ人のヘレン・ミアーズが書いた”アメリカの鏡・日本”では実際に沖縄戦でアメリカ兵が行った蛮行について触れている。
この本は日本語の翻訳した本の出版は禁止されたが、鉄の暴風はアメリカ軍の推薦を受けている。



おかしいねぇ
メディアの扇動と大政翼賛会
昭和19年の11月3日か12月8日のこと、那覇市の護国神社で決起大会があり、そこで在郷軍人たちが主となって県民鼓舞の大演説をぶち上げた。
中でも印象に残ったのが直前まで那覇市長を務めていた當間重剛氏が演壇で日本刀を振りかざし、”米軍が来たら、戦国時代の落城と同じ、女子供は自決させるべし”と演説をし、”決議”となり、それを参加していた座間味村三役がそれを帰島後、村民に伝えた。
引用;沖縄「集団自決」の大ウソ
憤怒と恐怖をあおって扇動したのは新聞、雑誌、文化人、大政翼賛会などの運動体。
婦人雑誌に”米鬼、英鬼をぶっ殺せ”や、昭和19年8月19日、20日の各新聞の見出しでは”サイパン同胞かく自決せり/悲壮絶す/手榴弾で集団自爆”(読売新聞)や、”従容、婦女子も自決/降伏より死を”(朝日新聞)などなど。
それに集まった座間味のリーダー陣が影響を受けて集団自決させようという流れになった。
当時の空気感
曽根:”死ね”というのは、当時の空気だったんでしょうか?
秦:私も小学校の上級生ながら”死ぬ”のは当たり前と思っていました
じゃあ誰に”死ね”とハッパをかけられたのか、記憶がないんです敵が上陸してきたら、老幼婦女の別なく皆殺しにされると思っていましたが、本や新聞・雑誌を読んで刷り込まれた気がします
中でも母親が取っていた”主婦の友”はオクターブが高くて、ページの余白ごとに”米鬼英鬼をぶっ殺せ”と印刷してありました
引用:沖縄戦「集団自決」の謎と真実
記憶違いかなと疑問が湧いて、主婦の友社へ行きバックナンバーをあたって見たら、その通りでした
秦郁彦氏の著書の沖縄戦「集団自決」の謎と真実で、曽根綾子氏との対談から抜粋してみました。
秦氏は1932年生まれで大東亜戦争当時12歳、曽根氏は1931年でこちらも当時13歳だから、がっつり当時を生きていた人たち。
この人たちの当時の空気感は、曽根氏はあまり感じてないようだけど、秦氏の中では”降伏よりは死ぬ”という思いがあったという。
その曽根氏が興味深いことを言っているので紹介する。
曽根氏が”ある神話の背景”の取材過程で戦後20数年が過ぎたにも関わらず、赤松元隊長を直接取材した人物は、自分以前に3人しかいなかったという。



一人は週刊新潮の記者
もう一人は沖縄新聞記者
もう一人は朝日新聞記者
鉄の暴風の太田とか沖縄ノートの大江とか全く取材してないんだよね。
死ぬしかないという心理とパニック
轟く艦砲の恐怖と寒さに震えながら、米子の家族は避難場所を探して近くの山を目指して歩いていきました。
丘の斜面を登っている途中、砲弾のうなり声の合間から、ひそひそと人の声が漏れてくるのに気がつきました。
おそるおそる声の方に近づいていきました。
すると、月明かりの下でひとつの家族が寄り添っているのが目に止まりました。
そして、すぐ側に銃を持った一人の兵隊が立っていました。
長い沈黙を破ったのは、群れの中の男性の悲壮な声でした。
”トー、ナマヤシガ(さー!今だよ)”
するとその日本兵はおもむろに家族の方に銃を構えました。
引き金に指をかけた時、一人の子が緊張に耐えられなくなったのか、突然わめき出しました。
その瞬間、兵隊の指が引き金から離れました。
母親も泣き声でさとしながら必死になって止めています。
突然、この親子の姿を見ていたおばぁさんらしき人が、銃を向けていた兵を止めました。”ナー、シムサ、シムサ(もう止めなさい、止めなさい)”
兵隊は間をおいて、銃を降ろしました。
そして、その家族から目を背けるように、こちらを向きました。
引用:潮だまりの魚たち
兵隊の姿をしていたのは、何と村役場の職員の1人でした。
パニックに陥ってしまった例を挙げてみる。
アメリカ軍が迫ってきてパニックに陥った状況では、後述する金城だけではなく、そのグループのリーダーの判断にゆだねられる。
そして、その判断は誤った方向に行ってしまうことが多い。
殺しまわっていた人の影
金城重明 & 重栄兄弟
私はそのとき(米軍の攻撃が始まったとき)、”自分も早く身内の者、愛する者たちをこの手で片づけよう””これが最善の道であり、これしかないのだ”と妹二人に手をかけました。
私は大声を出してわめきながら…この時は、私がどのようなことをしたのか言えません。
一生言えないでしょう。
二つ年上の兄は銃剣で父母をやっていました。
そして父母が息絶えてしまうと”今度は自分たちの番だ。
引用:1972年 儀部景俊編 沖縄戦ー県民の証言(日本青出版社)
君からやるか、俺からか”と兄は叫びました。
彼らはこの後、全滅した日本軍と遭遇し”なぜ自分たちだけが、こんなむごい目に合わなければならないのだ”と衝撃を受け米軍の捕虜となり生き残ってしまう。
この後、金城氏はずっと”日本軍の軍命があった”側として動いていくことになる。
実は、この金城の発言の”私がどのようなことをしたのか言えません”の部分についてある証言が出てきている。
棒で我が娘をメッタ打ちにしている父親。
逃げる子供を追いかけて、棒で打ち殺しているおじいさん。
多量の血を浴びながら泣き叫ぶ子供たち。この地獄そのものの様相を、私はただ茫然と眺めていたのです。
そのあと、いまは首里で牧師になっている人が、大きな棒を持って”まだ生きているか”と確かめながら殴り殺して歩いていました。
私たちのところへもきました。その人の棒で、母は二回打たれ、血まみれでくずれました。
弟は一打でまいりました。
私も頭の真上を打たれました。
妹を下にして、その上に死んだようにしていました。
耳は聞こえなくなり、頭から血が出てジンジンしてきます…それでも不幸中の幸いというのでしょうか。
引用:1971年11月号 潮
私の家族四人は、なんとか生き返り元気になりました。
上記の雑誌で安座間豊子さんが手記で明らかにされている。
と、軍命にのっとって人を殺したという側に回っていた金城は、沖縄タイムスのインタビュー記事を見てみよう。
記者:(赤松大尉の)自決命令についてはどう思うか
金城:私の感じでは、離島にあって食料にも限界があったし、民間人が早くいなくなればという考えが軍にあったように思う
しきりにそういうことがささやかれ、村民では足手まといになるより自決して戦いやすくしたら…ということが言われていたし、こうした村民の心理と軍の命令がどこかでつながったか、はっきりしない
引用:1970年3月20日 沖縄タイムス
このインタビュー時はまだ自分の方向性が決まっていなかったのか、軍命についてははっきりしていなかったようだ。
山城安次郎
3月26日、山城安次郎教頭
私たち家族が第二中隊の壕を出て、高又川という細い川のそばを歩き始めた時、座間味部落の方角から一人の兵隊が刀をぶら下げて走ってきました。
近づいて見ると、国民学校教頭の山城安次郎先生でした。
先生は私たちに向かって、いきなり、”民間人は皆死ねと言っているのに、何でうろちょろしているんだ。
死にきれないのか。
死ぬ道具がないなら、今、私が叩ききってやるからそこに並べ”と叫んで腰の日本刀を抜きました。のど元に突き付けられた祖父が、”殺すのを待ってくれ”と言うと、”玉成命令が出ているのに、何で死なないのだ”と先生は言います。
祖父は、”山城先生。
夕べ、忠魂碑の前で、”部落民は死んではいけない、集まった人を解散させて、山なり、谷なり、防空壕なりに避難させなさい、ということだったので解散する”と村長が言ったのに、今頃になって先生が私たちを殺そうとするのは、誰の命令ですか?”と口答えしました。
母も祖父に口添えしました。山城教頭は、”玉砕命令は、梅澤隊長の命令ではない。
昨日(3月25日)の昼過ぎ、村長、三役で決め、郷土防衛隊長(宮里盛秀)の命令として出されたものだ。各自、個人個人の壕を回って、軍の命令だと言って忠魂碑の前の広場に集合させなさいと伝達させたのだ”と答えました。
祖父は、”夕べは自決命令は中止と言って、取りやめさせているのに、なぜ先生は家族を殺そうとするのですか。
今、この川で殺されたら、我々家族の遺体は海に流れ、誰の骨化わからなくなる。兵隊に行った二人の息子が帰ってきたら、家族がいないと悲しむだろうから、死ぬのだったら自分の壕で死ぬ”と言いました。
山城教頭は”臆病者たち。
お前たちはそれでも日本人か!
いざという時は舌をかみ切ってでも死ね!私の家族には手榴弾をあW足してきたから、もうとっくに自決は終わっているはずだ。
産業組合の防空壕も、みんな揃って自決が始まっている”と言いました。山城は抜いていた剣を鞘に収め、本部壕の方面に上がっていきました。
引用:沖縄戦「集団自決」の謎と真実
この宮平秀幸 陳述書の中にある山城とのやり取り。
その後、昭和58年のある夏の日、那覇の通称桜坂通りにあるおでん屋”39”のカウンターでこの山城と宮平氏と飲みながら話したことが伝えられている。
宮平:自決は誰の命令だったのですか
山城:誰の命令でもない
あの状況ではみんなで一気に死ぬしかないと思った
との会話が交わされ和解している。
この山城は、戦後、沖縄タイムスを訪問して
- 赤松隊長の暴状
- 梅澤死亡説
などを訴えたと言われていて、その話は”鉄の暴風”にも書かれている。
後日、梅澤氏は生存していて削除されたが…。
全体を通した感想を
- 日本人は権威に弱い
- 同調圧力で反対意見を潰す民族性
- 気になる宮平秀幸
裁判では、徹底取材して書かれた本より、現場取材もなしに書かれた妄想本を”正”として下された判決を見て、日本人ってやっぱり権威に弱いんだなぁと痛感。




よくある言葉で、民度以上の政治家は生まれないって言葉があるように、日本人はテレビ、新聞の情報を信じやすいというデータがあることが立証されてしまった。



上から下まで
”権威者が言うことは全て正しい”
だもんなぁ
皆ワクチン打つわけだ
そして、援護法の適用のために、赤松さんは島民のためになるならってことで協力してくれたのに、その方向に逆らう人間には徹底的に糾弾、圧力をかけるという民族性…
初枝さんに対してもいじめがあったようだし…
でも、これって沖縄だけじゃなくて、色んな所で散見する。
自分の意見と違う人間には、罵倒するのは当然になっている。
1人1人考え方が違うのは当たり前なのに何で違う意見っていうだけで、そこまで感情を高められるのか不思議だ。
この沖縄の集団自決の記事を書くのに
- 沖縄戦「集団自決」の謎と真実
- 沖縄「集団自決」の大ウソ
- 「強欲チャンプル」沖縄の真実
の本を読んだ。
私がこの記事を書くのに一番参考にしたのは秦氏の”沖縄戦「集団自決」の謎と真実”なんだけど、この中で宮平秀幸氏の陳述書がかなりのページ数を割いて掲載されいる。
この中では、この陳述自体がウソなのではないか?みたいなことは一切触れられていない。
その他の本では、そこまでちゃんと触れていない。
秦氏以外は、この証言は嘘くさいと思っているのだろうか?
でも、この陳述書の中で山城とのやり取りについても書かれているけど、後日再会した時にも二人の会話は当てはまってるんだから、ウソとは思えない。
まとめ
裁判では、軍命があったという決定的証拠はないが、軍の関与が見られるから鉄の暴風も、沖縄ノートも書いてあることはおおむね間違っていないという捉え方。
一方、徹底的な取材をして書かれた”ある神話の背景”については”取材対象に偏りあり”という捉え方。
え…鉄の暴風も沖縄ノートも創作の方が多いんですけど…
宮平秀幸氏に関しては、まぁ疑いがあるから取り上げなかったとしても、梅澤隊長の下に行った人の中での唯一の生き残りの初枝さんも”信頼できぬ”ってどういうこと?
このまま、東京裁判史観にとらわれ続けるのは日本にとって良くない。
かつてイギリス病にかかったイギリスはどうやってそれを乗り越えたのだろうか。
今後も、大東亜戦争について本を読んで共有していくから、一緒に正しい日本を知っていきましょう!
参考資料
ミキティー(大高未貴さん)の本初めて読んだけど、なんとなく人間性が出てるなぁ。



ミキティー
若いときすごくモテたんだろうなぁ
ホントは、買ってはいるけど読んでない本がある。
それは、沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史という本。
この本は実は、この沖縄の集団自決の前に、仕事で連載する関連で沖縄のことを調べるのにだいぶ前に買った本。
だけど、600ページくらいあってなかなか手を付けられていない。
読まなければ…
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